ニートのひと思い

感じたことを書いていきます。

布団

おはようございます。
こんにちは。
こんばんは。
どうも、空無水(くかなす)です。




最近、外にめっきり出なくて引きこもりをしている私です。笑


はて、この文を見た方はおわかりだと思いますが、
私はニートです。



まあ、そんな事を言いながら、日々仕事を探しているものですが
なかなか決まらず腐っています。
本に関しての仕事を探してはいるのですがなんとも言えません。


本に関しては
語りが入ってくるのでまた今度にします。






さて、今回のお題は「布団」


なぜこの話題にしたのかというと
寝て過ごしている私にとって布団は史上最高の場所。



…そう、思考の極み
しかし、最近は腰の痛みからマットレスの購入を買おうか考え中です。


布団ってなんであんなに気持ちいいんですかね
ふかふかの羽毛や生地に包まれて
あんなに安心する場所って他にないなと思う私です。笑




誰かにとって安心する場所って
自分ではあまり気づきにくいけど、
自分にとってすごく居心地が良くてすぐ甘えてしまう場所


そんな誰かと共有することは
決して難しいことではないのかなと思います。


なぜなら、
趣味という枠でいろんな方と繋がれる機会があります



楽しい
嬉しい
そういう感情に包まれていくと


居心地よく感じます。




そんな友達に私は場所を作れているのだろうか


と、たまに自信がなくなってきます。



でも、そんな時に友達の楽しそうな声や笑顔を見ると
どうでも良くなります。



それは杞憂なんだなと






だって、いたいのは私の方だから。


そんな考えたからといって友達が嫌いになるものでもないし
そんなことを考えたところで自分が好きなことには変わりないのです


だから、伝えられる時に
親にも友達にも
感謝を伝えていきたいと思います。




今日も見ていただきありがとうございます。
明日もあなたにとっていい日でありますように





では失礼します。

堕落

おはようございます。
こんにちは。
こんばんは。
どうも、空無水(くかなす)です。


6月も中旬を迎え、すでに夏の準備が始まっている今日このごろ。
私も長袖から半袖に衣替えしたところです。


エアコンの冷房は7月からと決意していたにも関わらず、
手がリモコンのスイッチに伸びてしまう。




そう、「堕落」ですね


まあ、堕落してみて感じたことですが、
人間のサイクルというものは我慢したら偉いというものでもありません。


極端な話、
食べる事をおごそかにしたら、お腹が空いて何もしなくなる
環境が暑すぎると適応に追われて仕事どころではない。




だから、我慢せず自分が生きていく環境を整える事も大切だと思う


自分が苦しくならないように
自分が楽しめるように


生きてるだけで
そこにいてくれるだけで


それでいいのです。







まあ、甘いのかもしれません
でも、それでいいのです。




しかし、だからといって一日寝転んで何もしない日というのを
毎日繰り替えいてはだめだなと感じます笑




これも矛盾ですね笑
まあ、今は頑張りどきなので私はがんばります


今見ているあなたがもし


生きる気力も体力もないなら





”堕落”していいんですよ
たくさん甘やかしてください
ゆっくり休んでください


そして、また起きた時に
あなたが笑っていたらそれでいいのです。




では、おやすみなさい。

紫陽花

おはようございます。
こんにちは。
こんばんは。
どうも、空無水(くかなす)です。



6月に入りまして、初夏を感じられる今日この頃
梅雨の時期になったというのに環境の変化か、全く雨が振り続ける気候が
どこかに行ってしましました
(偏頭痛持ちからしてはとてもありがたいのですが…)



しかし、こうも幼い頃に感じていたものがなくなるのは寂しさを感じてしまいます。


静かな一定の音
独特の雨の匂い
走行車の走り去る時に跳ねる水飛沫
傘から伝わる刺激


なんの気もない梅雨が
当たり前でと思っていた時期が
こうも”日常”から姿を消してしまった。




今では、もうすでに初夏の雰囲気を感じられるほどに




雨は嫌いではない


まあ、積極的に好きというわけでもない。
衣服や靴が汚れる、なんとなくどんよりしているといった
そういう理由で好きになれない部分も確かにある。
だが、それらの理由だけで嫌いになるのはいささか早計ではないかと考える。


主な候補としては紫陽花
花は誰しもに感動を与え、癒やしを提供し、時に主役ともなれる存在である。
なぜなら、雨の中に光り輝く小さな花弁があんなに咲き誇っているのだ。


視界が霞んでしまう静かな世界に
突如として目に焼き付いてくる光景


なんでもない事なのに
なぜかあんなに気になってしまうのだろう






否、
理由を追い求めても無意味なことなのかもしれない。
それでも、追い求めてしまうのは人間の本能的性なのだろう。


きっと
それは私達の「好奇心」に繋がるものなんだろうなとも思う。


夢中になっている人
追い込んでいる人
一生懸命な人


そういった人たちを見ると
その姿が輝いていて、とても眩しくて
感動や勇気を与えてくれるこの一瞬が


眩しすぎて、時にふと目を伏せてしまうのに
気づいたらそれでも目が離せられない





きっと、また理解不能な思考が始まるのだろう


でも、それでいい。
ここが私の世界なのだから。



今回はなにかの決定なものはないので話はモヤつくのかもしれません。
だからこそ、それも一興なのです。







例えば、静かに佇む雨のように