ニートのひと思い

感じたことを書いていきます。

石ころ

おはようございます。
こんにちは。
こんばんは。
空無水(くかなす)です。


皆様、お久しぶりです。
ここ数年ニートから脱出しブログの過ぎ去ってすら一年以上もあけてしまいました。
なんとも言いようがないです。
冬の寒さも少しずつ溶け始め、春の準備に空気も変わり始めている頃ではないでしょうか?


寒さが過ぎ去ってくれるのはありがたいですが、花も痒くなってきますので個人的に複雑です。




さてさてさーーて
石を見る時ってどんなときだと思いますか?


何気ない公共の道路
海岸にひっそり流れる
山脈を登る道脇


例を挙げたらキリがないくらい
いろんなところにいますよね


三角や四角といったわかりやすいカタチ
でこぼこした面白いカタチ
色がついたカラフルなカタチ


いろんな形があって面白いですよね


ある意味
人間も同じで
いろんな容姿や性格がある


そのひとつひとつが同じものなんて一つもなくて
どんなカタチも面白い



誰にでもある劣等感に押しつぶされたり
人って自分より優れている性格や能力に
何かしらの嫉妬を感じてしまい
誰にでもある劣等感に押しつぶされたり
そして自分を卑下する
そんな生き物である


もちろん、気にしていない人もいる
そんななかで今日も生きている


そんなに自分を責めなくていい
無理にその人にならなくてもいい


あなたは「あなた」しかいないのだから
あなたをどうか受け止めてあげてください



石に例えるなと
このご時世揚げ足取りするけれど


裏を返せば
原石とも言えるのではないでしょうか
って個人的に思います。




どんな石でも自分らしい宝石になれると思います


私も自己肯定感は高い方ではありません。
自分な嫌いなところはあげだしたらきりがないでしょう。


それでも
自分も少しはいいんじゃないかと
そう思うえるようになったのも
何年もかかりました。




すぐすぐ変えることは難しい


いいのです。
そうしたら、次自分がなにかできたことに関して


褒めてあげてください。


自分を褒めたっていいです。


それを止める権利なんて誰にもありません。


しかしながら、犯罪やいじめといった
他人に迷惑をかけることがいいことではないのはあしからず


そんなことわかっているという人もいるかもしれません
それはそれです。笑






ここで笑っていただけたあなた
とてもいい笑顔です。



そんな自分を褒めてあげてください



あなたにとって素敵なことが起こりますように
ではこの辺にて失礼します。

おはようございます。
こんにちは。
こんばんは。
どうも、空無水(くかなす)です。


お久しぶりです。
だいぶ更新忘れてました笑


4月になり、桜が舞い散る
…もうだいぶは葉桜になりましたね。
まあ、舞っていく様も素敵ですよね。


新1年生、新社会人
いろいろなスタートが目に見えています。


不安と期待の中
進んでいる姿を見ると
同時に微笑ましさと羨ましさが
交互して行き、なんとも言えない複雑さに心が揺れる時期ではあります。




何でしょうね。
語りたい気分ですかね笑
まあ、いいでしょう。



さてさてさーて


あなたは怒るときどんな風に叱りますか?
冷静にものを諭す
感情に任せて怒鳴り散らす
はたまた干渉しない
大体この3つのタイプに分かれるのではないでしょうか。


そもそも「怒り」という感情は
熱情の上に起こるもの
許容範囲を超えたもの
自分の思い通りにならないとき
大切なものを傷つけられたとき


物によっては自分の価値観も左右されますね
まあ、これは勝手に個人の考え方なんですがね





私は「怒り」がすべて悪だとは思いません。
自己の発言にもつながるものだと思うし、
何より負の感情はある意味
その時自分が感じた素直な感情の爆発ではないかなと思います。



しかし、決していいとも言えることではありません。


相手を萎縮させる声量
理不尽なその場限りの圧力


そういった「怒鳴っとけばいい」という風潮に賛同はできません。
「昔はそうだった」
「私達の時代はそういうのが普通だった」


そう考えるのやめません?




確かに厳しくあることでなにかしらの成果につながったり、
突き詰めてその道を極めようとする精神もあるのも大切なことです。


しかしながら、多分今の現代社会には通用しないでしょう。
人に尊敬されたいのならまずは自らが行動すれば人は自ずとついてくる


何もしていない人に偉そうに言われても説得力ないと
尊敬する気持ちも起きないでしょう。



自分の欲求だけを満たそうとする人は
赤ちゃん返りしたのかなと個人では思いますけどね笑




まあ、なにはともあれ感情を表すことはまた難しく
そして、面白いですね。





解釈違いで
吉と出るか
凶と出るか


さて今回はこの辺にします。


さてこの文章を見たときに
あなたは憤怒するでしょうか。
共感するでしょうか。



私はどちらにせよ
自己満足というものです。




本日もお付き合いいただき、ありがとうございました。
では、失礼します。

キャッチボール

おはようございます。
こんにちは。
こんばんは。
どうも、空無水(くかなす)です。


だいぶ、更新サボってました←
まあ、でもこんな感じでゆるいんでご了承下さい。笑


やっと冬らしくといいますか、やっと寒くなったので衣替えやっとしたばかりです。
どんだけやっと使うんだか笑






さて、今回思ったこととして1つ
今、このブログ兼ニート日記として書いている私なんですが、
話しているのは私の主観でしかありません。
対話しているわけでも
意見の討論会をしているわけでもありません。


なので、色んな意見があることはすでに承知しています。


それもまた人の性というものですね。
千差万別という言葉があるぐらいですからねー。
自分と話し主観としてはこれぐらいにしときます。







人と話す時に考えられるタイプして2通り
共感型
否定型
まあ、その他無関心と言ったものですね
(2通り言うてるやん)


人の感情というのは本当に厄介もので
なにかを言われたことに関して嬉しいことより
悲しいことが覚えていることのほうが多い



ある意味人間の本能がそうしているだけなのだが
悲しいことが起こった時、人は次その悲しいことに関して
防衛しようとする


だから、悲しいことの方が記憶に残りやすい
人の怒りや憎しみに触れたときがいい例だと思う









だからこそ、人は話す
悲しいこと
辛いこと


そして、嬉しいこと




なにかがあったとか
なにかを感じ取った時


自分が感じたその時の感情を大切にしてほしい




もちろん、その感情を無闇矢鱈に当たり散らすことがいい事ではない
言い方によって相手の傷つけることにもなる


それは回り回って自分を傷つけている事になります。



もし、自分がその言葉を言われた時になんて考えるだろう?
怒る?
悲しむ?


そう考えたら、少しは優しくなれるのではないでしょうか?
少しは他人に対して優しくなれるのではと。








線のように真っ直ぐで芯があることはいいところだと思う。
その良さをどうか間違えないでほしい


八方美人になれと言うことではない
ただ、この世界であなたはどれだけのいいものを持っていたとしても


使う人間によって
薬とも
毒にも
なりうることなのだから









今日はあまりうまくまとめられない
そんな日もあります


だって、私だから




いつもご覧いただきありがとうございます。
それではいい日でありますように