ニートのひと思い

感じたことを書いていきます。

紫陽花

おはようございます。
こんにちは。
こんばんは。
どうも、空無水(くかなす)です。



6月に入りまして、初夏を感じられる今日この頃
梅雨の時期になったというのに環境の変化か、全く雨が振り続ける気候が
どこかに行ってしましました
(偏頭痛持ちからしてはとてもありがたいのですが…)



しかし、こうも幼い頃に感じていたものがなくなるのは寂しさを感じてしまいます。


静かな一定の音
独特の雨の匂い
走行車の走り去る時に跳ねる水飛沫
傘から伝わる刺激


なんの気もない梅雨が
当たり前でと思っていた時期が
こうも”日常”から姿を消してしまった。




今では、もうすでに初夏の雰囲気を感じられるほどに




雨は嫌いではない


まあ、積極的に好きというわけでもない。
衣服や靴が汚れる、なんとなくどんよりしているといった
そういう理由で好きになれない部分も確かにある。
だが、それらの理由だけで嫌いになるのはいささか早計ではないかと考える。


主な候補としては紫陽花
花は誰しもに感動を与え、癒やしを提供し、時に主役ともなれる存在である。
なぜなら、雨の中に光り輝く小さな花弁があんなに咲き誇っているのだ。


視界が霞んでしまう静かな世界に
突如として目に焼き付いてくる光景


なんでもない事なのに
なぜかあんなに気になってしまうのだろう






否、
理由を追い求めても無意味なことなのかもしれない。
それでも、追い求めてしまうのは人間の本能的性なのだろう。


きっと
それは私達の「好奇心」に繋がるものなんだろうなとも思う。


夢中になっている人
追い込んでいる人
一生懸命な人


そういった人たちを見ると
その姿が輝いていて、とても眩しくて
感動や勇気を与えてくれるこの一瞬が


眩しすぎて、時にふと目を伏せてしまうのに
気づいたらそれでも目が離せられない





きっと、また理解不能な思考が始まるのだろう


でも、それでいい。
ここが私の世界なのだから。



今回はなにかの決定なものはないので話はモヤつくのかもしれません。
だからこそ、それも一興なのです。







例えば、静かに佇む雨のように