ニートのひと思い

感じたことを書いていきます。

隙間

おはようございます。
こんにちは。
こんばんは。
どうも、空無水(くかなす)です。


8月になり、夏の本格的な暑さにもあてながら、特有の匂いに誘われて
真昼の暑いアスファルトを歩いて今日も一日を過ごしています。
…というより、そんなに日に当てられていては
まあ熱中症の疑いがますます上がりそうなので、最近は冷房必須。
皆さんも体調には気をつけて、室内でも水分補給をしてくださいね。






さて、今回の話は少し私情になりますが、私の母について話します。
自分の体験したことを日記代わりじゃないけど
ここに記そうと思います。
拙い文章で読みにくいかもしれません。
少々長くなりますが、お付き合いください。











私の母は、幼い頃から父、つまり母方の祖父に仕込まれ、
「勉強よりも家事が優先」
と家のことは女がやるといった当時の考えが根強い家庭でした。


今の現代考えられないことでしょうね。
「親は敬うもの。」
そう教え込まれてそれが当たり前の時代で、
げんこつやお尻を叩くなどの行為も教育の一環として教え込まれたもので
そんな家庭に母は大人数の兄弟の中長女として生まれました。


当時、大変な時代だったんだろうとも思う。
しかし、今私ごとではとても図り切れません。


調べれば、当時の話も聞けることができる。
しかし、その時、その瞬間に思った気持ちは
当人にしかわからないのです。



そんな環境下でも、母はすごかった。
真面目で責任感もあり、そして大抵のことはなんでもこなせる人で
料理、洗濯、掃除等の家事はもちろんのこと、
勉強もそれなりにできて、いうなれば「完璧」でした。


また、おしゃべり好きで誰とでも仲良くでき
たまに怒って楽しそうに話す母の姿が大好きでした。









そんな母が今月入院しました。

病名は「躁うつ病」
そう、母は診断されました。


ここで病気の説明をさせていただきますと、

躁うつ病、及び双極性障害とは精神疾患の中でも気分障害と分類される疾患の一つです。
簡単に言うと、気分が高まったり落ち込んだり、といった感情の起伏が激しく、これらを繰り返す脳の病気です。

「うつ病」とも思われがちですが、全く違う病気で
うつ病、及び単極性うつ病は気分が落ち込んだり、やる気が無くなる、眠れなくなるといった症状になります。


ハイな状態とうつ状態これらを繰り返す病気が「躁うつ病(双極性障害)」という感じです。
※インターネット検索「こころの健康情報 すまいるナビゲーター」参照。



…改めて文字にすると整理がついているんだなと自分でも驚いています。
やはり時間というのはかけることに意味があることもあるんですね。



話を戻します。

母が入院する2日前。
母は家出をしました。


家出自体はそんなに驚かず、私はどこか泊まるものだと考えていました。
そんな予想とは裏腹に私の父が「探そう」と言い始め、夜の12時に父と2人で母を探しにでかけました。
思いつく場所は行ってみましたが、そこに母の姿はなく、手詰まりでした。

とりあえず朝まで連絡が来なかったら警察に連絡しよう
とお互いに確認をとった後、私は仮眠、父はまた母を探しに一人出掛けました。


私は母がもしかして連絡してくれるのではないか
そんな淡い期待でいました。
その日は連日の睡眠不足によりすぐに寝付けました。




翌朝。
母はやはり帰ってきませんでした。

警察に連絡し、待機にすることに。
すると、入れ違いで別の消防署から連絡が来ました。

その時初めて母の状況がわかったのです。

母は救急搬送されていました。
救急隊員から事情を聞き、指定された病院へ父と2人急いで向かいました。


病院に着き、手惑いながらも受付の方に場所を訪ね、母の元へ。
実際は治療室の手前の長椅子で待機することに

数十分がたった頃
「母が呼んでる」
ということで私だけが治療室に呼ばれる。




母と1日ぶりに再会。
たった数時間、いや数十時間。

たったそれだけの時間

なのに、その時母に会うまでの時間がとても長く感じました。


私と面会して母は開口一番
「ごめんなさい」
と謝罪の言葉を述べていました。
しかし、同時に母はとても怒っていました。


多分、その時の母は興奮状態で
自分の周りは敵だらけ
そう思い込んでいたのでしょう。
誰に対しても反抗的で攻撃的でした。

自分を手当してくれた看護師も
事情を聞く先生にも
病院の備品を運んできてくれた業者にも

もちろん、私や父にも。




そんな状態で診れるわけでもなく
何もしない私に痺れを切らせたのか、父と代われと言われ
父と入れ替わりで治療室をあとにしました。

それと立ち代わりで警察の方が到着。
母はとても会話できなかったため私が対応。
警察の方は私の拙い話を親身に聞いてくれました。


結局、母は家に帰ることになりました。
本当は入院が必要な程
でも、本人がそれを拒んでいては為す術もありませんでした。

薬は処方されるものの、胃が弱いためすぐに炎症を起こしてしまう。
その苦しさが怖かったのだろう。つらかったんだろう。
母は自分から薬を飲みませんでした。




家に帰ってからも母の興奮状態は収まりませんでした。
要求するものの、すぐに癇癪を起こす。

食事もお粥一口、二口。
水もこぼす。
吐く。
蹴る。
叩く。
要求する。
拒む。
汚される。

その繰り返し。
その間、暴言騒音はお構いなしにこちらに降り注ぐ。

たまに私の名前を間違える
過去の私の行いについて咎める
甘いと私を罵る

もちろん、それを全部は真に受けてはいません。
むしろ、「あー、そう思われていたのか」
そんな気持ちでした。

母の頼み事も最初は素直に聞いていました。
しかし、人間とはやはり壁打ちに弱いもので
繰り返すと疲れていくのです。



そんな私とは裏腹に父はずっと母の言うことを聞いていました。

文句も言わず、素直に謝り、足を蹴られても、腕を叩かれても、
父はずっと母のそばにいました。



私はそんな2人を見ていられませんでした。



結局、夜に救急車を呼ぶも、
緊急搬送されても
家に帰ってきてしまう。

睡眠も1時間だけ。
その息をつくのもつかの間
また、興奮状態の繰り返し。




そんな状況に私は嫌気が指していました。
厳密に言えば私はもう限界でした。

もうこれ以上母が自分を傷つけてほしくありませんでした。
私と父だけでこの状態の母をどうにかできるとも思えませんでした。



だから、私は警察と精神病院へ連絡しました。
正確には、叔父が病院の方に掛け合ってくれたみたいです。

第三者の目から見ても母は病気だとわかるレベル
前日、父や母に入院しようと提案するも
2人とも首を縦には振らなかった。
むしろ、黙ったままだった

それを父にどう説明するか
母にとって体が休める場所はどこか
果たしてこのままでいいのか


そう考えているうちに私は泣くことが抑えきれませんでした。
どれが一番よかったなんて、その時私はわからなかった。



やっと母自ら病院に行くことを口にし、病院行くことにした。
着いてからも母は興奮状態だった。

問診も面談も私が分かる範囲で答え、
父に説明をする
そんな感じだった。

そして、母はそのまま入院となった。








ここまでが2日間の出来事。



たった数日のことなのに
私には1ヶ月のように感じた。

あれは悪い夢でも見たのだろうか
否、現実
まあ、現実逃避はしないですけどね笑



母は今も入院しています。
経過も順調で、今では食事も睡眠も取れているみたいです。
治療しながら、他の入院患者とも仲良くしてるみたいで
母はやはりすごい人です。


今となってはあの行動、決断が果たして本当にいいものだったのか
それはわかりません。

けど、少しでも母の体調が良い方向に
そして少しでも母が穏やかに暮らせますように




以上が話の結末でございます。
長々と見てくださり、まずは感謝申し上げます。
ありがとうございました。



そして、このような体験から、こう思うのです。

「 人間誰しも完璧ではありません。」



本当にこの言葉に尽きるなと感じます。
人というのはなにかしら弱い部分があります。

でも、どうかその自分を否定しないでください。
こんな自分も
自分であることを
認め、そして受け入れてください

決して強要ではありません。

あなた自身があなたを苦しめないように
あなたの心次第です。

「完璧にしたい」
その思いも向上心であり、とてもすごいと思います。
だからこそ、少しの緩みをを大切にしてほしいなと考えます。




あなたにも私にも
ここの隙間を大切にしてほしいと




長々と見ていただきありがとうございます。

それではおやすみなさい。